現象学・存在論・弁証法
細かい話題を束ねた概念ページ。各節は元は独立ページだった。
フッサール現象学(ノエシス・ノエマ)
意識の志向性を分析するフッサール現象学の中心概念群。意識はつねに「何かについての意識」であり、その作用的側面と対象的側面を区別する。
- ノエシス(noesis): 意識の作用的側面。意識が志向的対象に意味を与える作用、すなわち志向的作用そのもの。
- ノエマ(noema): 意識が志向的に向かう対象的側面。作用によって意味づけられた対象。
ノエシスとノエマは対の関係(ノエシス ↔ ノエマ)にあり、意味付与作用と意味付与された対象という相関をなす。
主客未分との関係
西田幾多郎の哲学では、主体と客体がまだ分かれていない融合状態を主客未分と呼び、『善の研究』ではこれを「純粋経験」と表した。
西洋哲学はデカルトの心身二元論を起点に「物質」と「精神」、ひいては「人間 ↔ 自然」を対立概念として扱ってきたのに対し、日本的な考え方(アニミズム的世界観)は主客の融合に親和的だとされる。現象学のノエシス/ノエマの相関構造は、この主客の分離以前に立ち返ろうとする視点とも響き合う。
関連: _moc-life-misc / continental-philosophy
ハイデガー『存在と時間』と存在論
Martin Heidegger の主著『存在と時間』を軸とした存在論のメモ。「存在とは何か」という問いを、それ自体が再帰してしまう困難として捉え直す。
存在論的差異
A is Bにおいて A・B は存在者(あらゆるもの: ハサミ、クジラ、自分自身)であり、これを分析するのが諸科学。- 一方
is(存在)は〈あるもの〉ではなく、あるものをあらしめつつそれ自体はあるものに留まらない「何か」。これを分析するのが哲学だ、とハイデガーは主張する。 - 伝統的存在論は存在を存在者へ同化(実詞化=存在者化のリスク)してきた。両者を区別する「存在論的差異」の理解が『存在と時間』の最重要点。
現存在
- 現存在: 存在者だと自覚しながら存在の概念を自ら生み出している存在(=人間)。現存在が存在を生み出す過程を分析することで、間接的に存在を位置づける。
- 目標は存在を時間性から説明すること。しかし下巻は書かれず、語ることで存在が誤解される恐れから、詩で示そうとする神秘主義へ傾く。
周辺
- フッサール現象学 を継承し、エポケー(判断停止)、内在と超越で考える。
- 実存主義(キルケゴール、ニーチェ)— 実存=自身しか体験できない特別な経験、内省が求められる。
- 把持(Retention)など時間意識の議論は現象学と重なる。
関連: tractatus-logico-philosophicus / continental-philosophy / _moc-life-misc
弁証法と止揚(アウフヘーベン)
止揚(Aufheben)
あるものを、そのものとしては否定しつつも契機として保存し、より高い段階で生かすこと。弁証法において、正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)が衝突し、合(ジンテーゼ)へと昇華される運動を指す。
- 例: 「花は美しい」+「花は枯れる」=「花は枯れて実を残す」
- 三段論法に矛盾を取り込むことで議論にダイナミズムが生まれる(就活の長所/短所の語りにも応用可能)。
- 関連: 西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」。
三位一体
一つのものが形を変えて3通りに見えること。元ネタはキリスト教の、父なる神・子なるキリスト・聖霊が神において繋がっているという教義。一者と多者の関係というモチーフは弁証法的構造とも通じる。
ニヒリズム
価値の根拠が崩れた状態への態度。
- 積極的ニヒリズム: すべてを無価値と捉えたうえで、だからこそ何をやってもよいとする態度(YOLO的)。「糧にならないと思ってやらない」のではなく、なんでもやるのがよい、という立場に近い。
- 消極的ニヒリズム: どうしようもなく今を生きるだけの態度。
大局的に見れば人生に意味はない、という前提を引き受けたうえで、それでも行為を肯定する点が積極的ニヒリズムの要諦。