ハイデガー 「存在」「存在者」

philosophy term
l2021-11-10

ハイデガー の言葉

https://twitter.com/yamaguchi__sho/status/1284139348196122624?s=20

これはハイデガー理解のためにたいへん重要なポイントです。身の回りを眺めると、椅子があり、グラスがあり、本がある。これらはどれも「ある」。そして、これらはどれも〈あるもの〉であるがゆえに、「存在者」と総称されえます。とはいえ
椅子が「ある」、グラスが「ある」、本が「ある」、における「ある」すなわち存在はそれ自体は〈あるもの〉ではない。むしろ、あるものをあらしめつつ、それはあるものでない「何か」にとどまる。ーーしかしながら、伝統的な存在論は、しばしば
存在を存在者と同化してきました。じっさい、存在を「存在」と呼ぶことそれ自体が、存在を何かしらの〈あるもの〉と見なすことに繫がりえます。何かを「実詞化」することには、存在者化のリスクがある、ということです。
ハイデガーは、存在と存在者を区別すること、すなわちいわゆる「存在論的差異」を重視します。その理由のひとつは、存在を存在者に同化しないことが、存在をそれとして理解するための重要な一歩だからです。そして〈存在と存在者を区別する〉という視点に立つことができれば
冗談ではなしに、『存在と時間』における最も重要な点のひとつを掴めたことになります。ここが掴めれば、関心(Sorge)や時間(Zeit)などを(存在者の側のことではなく)存在の側のことだと捉えていけばいい。ーーこの意味で、存在と存在者の区別の理解はたいへん重要です。