『内的時間意識の現象学』 読書メモ
いわゆる フッサール現象学
まえがき
本書は講義をまとめた。
「高次の = 「(言語的な)判断」に関わる」認識作用の解釈に対して
「いちばん根底に横たわる知的な諸作用 = 知覚、空想、像意識、記憶 = 想起, 時間直感(∵ 「直観」が「判断」の基礎にある, 直観にも最低限の「知的」な性格が認められる)」についての講義
主題は純粋な感覚与件の時間的な構成とその基礎の<「現象学的時間」の自己構成>
自己構成: 時間構成する意識が己自身を構成する.
「意識流」とよばれ、ハイデガーの「内在的時間」とも重なるが先進して「先現象的」と呼ばれる.
この「意識流」の解明が中心的なテーマ
現代哲学
現代哲学: 近代哲学を批判、二元論を批判
デカルト、カント、ヘーゲル
道具として現象学
本書が一般読者や哲学の研究者にとってもかなり難解であるが、フッサール自身は重要視している
学問の基礎としての「論理」を根底から基礎づけよう
「論理」は「判断」の問題で「「高次の」認識作用」に関わる → これの基礎を考える
「一番根底に横たわる知的な諸差用」が覆い隠されているので発掘せねば
フッサールは「論理学研究」にて「体験」を確保していた
「体験」とは
知覚が成立するところの場、そしてその何かがそれ自体で存在すると思われるようになるところの場、しかしそのこと自体が意識されてあるところの場. = 「「高次の」認識作用」の基礎
= コギタティネオス
現象学の場であるはず、しかしすべての体験はただどんどんと流れていくのであり
意識は永遠のヘラクレイトス的流れである
[今] 時間は一方向 ⇒ われわれは本当に無限の場をもっているのか
いつも到来して直ちに流れている一点を持っているだけでは?
すべてが一瞬で流れるなら「体験」が可能か?
「今・ある」ことができないのでは
これに対してフッサールは 「把持」(Retention) の概念を
フッサール現象学のモットー
- 事象そのものへ
- 可能な限り少ない悟性(= 論理的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性)
- 言葉として「見よ」
第一部 1950年の内的時間意識についての諸講義
P025(註P039)
アウグスティヌス「告白」の11巻 §14-28 は時間の問題に取り組む人なら必須
- 時間は時間の中で作られたものではない
- 客観的時間は客観的時間の中で構成されたのではなく時間を構成する意識の中で構成される
- 過去も未来も存在しないし現在は点なのでいかなる間もない
- 時間は「魂」のなかの事柄
フッサールもこの議論を参照しているが現象学的判断停止(エポケー)、現象学的還元という方法をとっているのでかなり異なった議論となる
⇒ 時間を構成する意識それ自体が時間の中に現出する(自己現出)
客観的な時間意識と主観的な時間意識を正しく関係づけようとする OR
時間的な客観性(⇒ 個体的な客観性一般 = 時間は個体を個体たらしめる原理 ↔ 個体的でない客観性の例: 「本質」)がいかにして主観的な時間意識の中で自己を構成するのか
理解しようとすると難しい
→ ブレンターノによる時間分析の論述
§ 客観的時間の遮断
時間意識の現象学的解析をしたい
= 客観的時間(= 「超越性」として = 意識無しでもそれ自体が現実存在すること)に関するいかなる想定、確信、諸前提を完全に排除